鉄人レース

7/15(日)鳥取県米子市他で「第38回全日本トライアスロン皆生大会」(皆生トライアスロン協会など主催、スポーツ振興くじ助成事業)が開催された。

国内で4大会開催されているロングタイプでも最も歴史があり、国内発祥の大会がこの皆生だ。スイム3km、バイク140km、ラン42.195kmのレース距離となっている。一般的に言うロングとしては、バイクが少し短いが、後述の通り、それで「十分」という距離なのだ。ロングのトライアスロンは、その土地を活かし、距離は大会独自となっていることが多いが、それも醍醐味だ。また、皆生の場合、時期的に猛暑であったり、梅雨が明けていない場合は、雨であったりと「激しい」気性の大会だ。その激しさに立ち向かう選手は、やはり、安全を考慮し、厳しい「書類選考」によって決定される。当然のことでもある。今や、トライアスロン人気も「第2次」として、高くなっているが、やっていることは、極めて過酷なことだ。選手の安全を考えると必要なことなのだ。

例えば、常に選手にとって何が良いのか、を考える皆生大会。昨年の取材時に聞いたウェットの着用について、ついに今年は、「自由化」としたのだ。昨年水温28℃の中、小原選手夫妻によるノーウェットスイムのトライアルも経て、今年は、選手の選択式にしたのだ。もちろん、ウェットスーツの優位性、安全性は誰もが理解している。ただ、水温が高い場合は、その限りではなくなる可能性がある。サウナスーツ状態となるウェットにより脱水も考えられるからだ。より良くするために柔軟な対応を行うのが、「皆生流」なのだ。ノーウェットの選手は、専用のスイムキャップを被って出場する。

皆生は交通規制がない。正確にはバイクの途中まで。ランは、すべて信号を厳守し競技を行う。競技として賛否あるだろう。ただ、それが皆生なのだ。現在、唯一の本州開催となる皆生のコース確保は、簡単ではない。地元の生活もあれば、相互の安全性も守らなければいけない。38回続いている伝統を守るためには、全てを成り立たせるのは無理。そんな中で続けている原動力は何だろうか。それは、「国内発祥」という誇りなのではないか。ただ、地元の人々は、それに奢ることなく、「よく来たね~」と優しく迎えてくれるそんな暖かい県民性を感じさせてくれる。その地元から自然体で守って来た結果が38回となったのだ。

当日は、快晴、風もなく、絶好のコンディションで始まった。海も落ち着いている。まずは、バイクのチェックインから始まる。皆生は当日預託となる。予定では、朝5:30からとなっているが、実際は5時前から続々と選手が集まってくる。まず感じるのは、「挨拶」が飛び交っていることだ。厳しいコースのレースが始まるとは思えないゆったりとした空気が流れている。同じく古い大会で、90年代琵琶湖のアイアンマンでは、朝、彦根プリンスのバイクトランジットで静寂な中にタイヤの空気を入れる音だけが聞こえる張り詰めた緊張感を思い出した。あまりにも真逆だったから。

バイクを預け、チェックイン、ナンバリングし、いよいよスタートなる。さすがに海を目の前にすると緊張感も感じる。皆生は海からスタートするフローティングスタートとなるが、マイペースでできるよう、コナのように小さな浜からスタートする選手もいる。スタート地点には、やぐらが組まれ、チームBRAVEの八尾監督がスタート前の選手に声をかける。「バトルのないスイムを!」と。

スイムは、皆生温泉海岸を泳ぐ。一旦沖に出て、左側の岸沿いに泳ぎ一度、上陸し、再度戻って来る3kmのコースだ。昨年はリレー選手がトップだったが、今年もリレー選手だった。アイアンマンや佐渡よりは、短い3kmは、待つ感覚も短く、続々と選手がスイムアップしてくる。国内では、ほとんどなくなった厳しい「書類選考」の大会だけにレベルは高いため、スイムアップ後も選手の動きは安定感を感じる。

バイクトランジット出てすぐ、エイドが用意されている。飲み物、食べ物とともに「応援」のボランティアに後押しされバイクスタートするのだ。このあたりも皆生のホットなシーンだ。このボランティア数が常に話題となる。約4400名のボランティアがサポートしてくれている。ただ、ボランティアに話を聞くと、「多い」という認識はなかった。「他の大会知らないからね~」と。このあたりも地元密着型の大会であり、皆生の良さの一つとなっている。

バイクは、大山とその山麓のアップダウンコースだ。このバイクコースこそが、皆生の象徴であり、ハードなコースで有名となっている。トライアスロンとしては、その後のランもあり、タイムや着順なども気になる。バイクも早いところ、クリアしたい。正直なところだが、このコースを走っている瞬間が「皆生」そのものであり、鉄人レースと言える由縁だ。テクニカルとアップダウンが続くため、地元や近隣の選手、そして、リピーターは有利だ。特に下りの勢いを活かすことがテクニックとなるこのコースでは、カーブなど先の情報が見えないところでその差が大きく出てしまう。その意味でも実走での試走、下見が重要となる。5月には同所でサイクリングイベントも開催されているため「試走」としている選手もいるようだ。

コースは、序盤は河川敷などフラットもあるコースだが、中盤で、皆生の象徴「大山(だいせん)」の登坂が始まる。大山のアップダウンを約20km、標高は300mになる。その後も、93kmの折り返し地点まで、ほぼアップダウンの往復「皆生流」コースとなる。道幅も狭い箇所もあり、タイトなコーナーもあり、文字通りのテクニカルコースで、「頭」を使う。効率良い走りをするためには、「下り」をいかに利用するかが重要となるが、やはり、リピーター選手にはかなわない。このコースもレースそのものだ。もしもはない。この条件の中で、ランに繋げるバイクパフォーマンスのバランスを取ることは簡単ではないだろう。ごまかしの効かないコースとは、正にこのようなコースを言う。

また、バイクコース途中にはこんなところもある。バケツで水をかけてくれる。見ている限り全員かけてもらっていた。もちろん、選手に確認してからかけてくれる。そして、バイク終盤では、フラットコースも含まれるが、風も出てくるため、結局、終始、ハードなコースなのだ。

最後のラン。ランは、弓ヶ浜半島の突端、「水木しげるロード」でも有名な境港までを往復するコースだ。交通規制はなく、途中、信号で止まったり、歩道橋も渡る。完全なフラットコースだが、バイクで消耗した脚を動かすには、強い「精神力」が必要だ。その上、気温、湿度が高い「灼熱の皆生」だ。そして、先述の通り、信号でストップするので、ペースも乱されてしまう。ランコースの特長としてエイドステーションが多いと、選手が口々にしている。それだけの「必要性」がある。選手の安全性も考慮する中でのエイドステーションなのだ。水分補給も競技の一部だ。エイドステーションをどのように利用するかも、問われている。水分以外は携行する選手、すべてエイドステーションに頼る選手、それぞれのレースプランがあるが、慣れた選手が多いので、上手くこなしているように見える。ただ、エイドステーションが多い分一カ所での所要時間がかさむと最終的にどのようなタイム差になってくるかなども気になるところだ。

選手は、陽炎に立ちくらむ中、ひたすら走り続ける。猛者が集まる大会だが、あと10km残し、リタイヤする選手もいる。皆生のランは、灼熱の死闘でもある。氷をジップロックに入れ、キャップの下、肩にウエアの中から、少しでも身体を冷やそうと必死だ。地面からも暑さを感じる。コース上は森や高いビルもないため、日陰がない。逃げ場がない。とにかく、前に進むしかないのだ。30kmの壁を超え、ラスト10kmは気力で脚を動かす。そんな中、選手に声をかける。「頑張って!」と。「ありがとうっ!!」とほとんど返ってくる。強さと礼儀、そして、楽しむことを、この暑さの中でも忘れてはいない。皆生には「筋金入り」のトライアスリートが集まってくるのだ。

厳しい大会だけにその完走の喜びは大きい。ベテラン選手も「初ロング」のようにゴールして来る。国内屈指のチャレンジングな大会だった。

今回開催にあたって、事務局も大変だったようだ。というのは、「平成30年7月豪雨災害」についてだった。参加選手からは、「自分は参加していいのだろうか?」などの「相談」のような連絡もあったようだ。大会事務局も開催の是非を慎重に検討を重ねた。そして、開催することで、「元気を伝える」ということに決定したそうだ。また、リレーチームのメンバーの一人が被災し、チームが二人になってしまったことについても今回の「特別措置」として、出場を許可している。災害と「競技内容」は別という意見もあると思うが、それも「皆生流」で良い。

皆生の象徴大山が、開山1300年を迎え、皆生大会は、「BRAVE & TRUE 輝かしい歴史のランドマーク 目指す人、支える人、心ひとつに」をスローガンに掲げていた。大山は、38年間この皆生大会を見守っている。

皆生は国内発祥の大会だ。そのきっかけは、1978年にハワイ州オアフ島で開催された第1回のIRONMANだ。その話題性にいち早く着目した。そして、IRONMANを手本にして開催されたのが、この皆生大会なのだ。現在「IRONMAN」は、ブランドになっているが、訳せば「鉄人」となる。そのため、よくトライアスロンのことを総称的に「鉄人レース」と言われるが、やや古風なこの響きは、皆生大会に最も似合うのではないかと思っている。

 

 

 

「今年も楽しい皆生取材でした。レース当日の朝、バイクトランジットの入口で写真を撮っていたら、昨年の取材で撮った選手の方にお声かけ頂きました。過去には同大会で22位、というやはり猛者の方でした。ご家族3人でのゴール写真でしたが、今年は撮れませんでした。スミマセン!せっかく今年は娘さんもお揃いのジャージだったのに。m(_ _)m」

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Triathlon “ MONO ” Journalist     Nobutaka Otsuka