〜憧れの皆生トライアスロンに参加して〜
古田真子
2025年7月20日に鳥取で行われた皆生トライアスロンに参加し、無事に完走することが出来ました。
私がこの大会を知ったのは8年前。トライアスロンを始めて少し経った頃で、皆生大会は日本でトライアスロンの大会として初めて開催された伝統ある大会ということで、トライアスロンをやるからにはいつかは完走してみたいと強く思ったのを覚えています。ただ、皆生大会は、暑さ、コース共に非常に厳しく、「灼熱の皆生」と言われるように過酷で、当時ODの大会に出始めたばかりの私にとっては遥か遠い世界のことでした。
それから徐々に練習仲間も増え始め、仲間が次々にロングのレースに挑戦し、完走する姿に感動し、私も長い距離に挑戦する決意をしました。約1年前から練習計画を立て準備をし、最初のロングは2023年の宮古島大会(コロナ以降の距離短縮で微妙な達成感だったことを覚えています)、その後は同年9月の佐渡Aに参加(完走を喜んだのも束の間、帰宅翌日より高熱が3日間以上続き、ちょっとしたトラウマに・・・)。
2024年はいよいよ皆生に挑戦かと思っていましたが、メンタル面も含めて色々と準備が整わず、エントリーを見送ってしまいました。前年の佐渡の辛さを思い出し、最後の一歩が踏み出せなかったのも事実。それでいながら、トライアスロンシーズンが終わる頃にはなんだかやり残した気持ちが残りました。そして2025年、今年こそは!とエントリーし、参加できる機会に恵まれました。
今回は初めての飛行機輪行ということもあり、緊張しつつ皆生の地に降り立ったのは大会前日。
米子空港から宿に向かうタクシーからは、子供の頃に夏休みの絵日記に描いたような、長閑な日本の原風景が広がっていました。少し行くと大山が正面に見え、穏やかそうな年配のタクシーの運転手の方が、「私はこの角度から見る大山が一番好きなんですよ」と、子供の頃に自転車で大山のほうまで遊びに行き、坂がきつくて登れなかったことや、何年か前にトライアスロンのボランティアをした時の話などを交えながら楽しく道中案内をしてくださいました。タクシーを降りる時には私もすっかりリラックスモードになり、運転手の方から、「明日は頑張ってください!」と力強く励ましていただきとても有り難かったです。
そして、宿でジェロニモの皆さんと無事に合流し、大塚さんにも手伝っていただきバイクを組み立て、異常がないことを確認できてやっと一安心。その後は車でコースの下見に行き、競技説明にもあった間違えやすい箇所やエイドの場所をチェック。コースのアップダウンの多さも聞いていた通りで、その時はなんとなく翌日のレースのイメージが出来たつもりでいたのでした(しかし実際にレース当日にバイクで走ってみると、暑さもあり想像を遥かに超えるキツさ!自分は甘かったと反省することに・・・)。その夜はサッと温泉に浸かり早めに就寝し、落ち着いてレース当日を迎えました。
大会当日の天気は晴れ時々曇り。5時半に宿を出発する時には太陽はすっかり昇り、既にもう蒸し暑さを感じました。会場に到着し、バイクセッティングを済ませると、あっという間に試泳の時間。バタバタと試泳を済ませ、スタートラインに並んで前を見ると、前日よりも穏やかな海がありました。緊張よりも、やっと憧れていた皆生に来れた喜びが胸に込み上げてきました。長い1日の始まりです。
スイムは、第1ブイまではそれなりに混雑していましたが、淡々とマイペースで進めばストレスを感じるほどではなく、海の透明度も高く気持ちよく泳げました。
無事にスイムを終え、私にとって課題のバイクへ。前日にコースの下見をしたものの、ここからは未知の世界なので慎重に進みます。20キロ〜25キロ地点くらいまでは調子良く、この感じだと案外行けそうかも?と思ったのが大間違い!そこからが本当の皆生の始まりでした。暑さも気になり始めアップダウンを繰り返すたびにペダルが重くなり、段々と心も折れ始め、、、そんな時に沿道にジェロニモの大塚さんの姿が見えました。
そして、大塚さんから「これが皆生だ!!」と発破を掛けられたその瞬間、大会にエントリーした時の強い気持ちを思い出し、そこからは「これでこそ皆生なんだ」と自分に言い聞かせ、前向きな気持ちに切り替えることができました。終盤は向かい風に苦しみましたが、なんとか制限時間内にバイクフィニッシュ。給水所のボランティアの方々の手厚いサポートや、沿道に立って応援してくださる老若男女の住民の方々にも、どれほど励まされたかわかりません。
ランスタート時の時刻は既に15時半近く。40キロを6時間で走り切れば完走出来る計算だけれど、歩くとアウトな状況。
とにかく絶対に歩かないことだけを考え、氷があるエイドでは必ず氷をもらい、頭、首筋と背中を冷やしながら前へ前へ。折り返しを過ぎてそのうちに日が暮れ始め、風が心地よく、海沿いの道に出た時に目の前に広がった美しい景色にしばし心癒されました。暗くなってからも沿道から応援してくれる人たち、道路を走る車の中から一生懸命応援してくれる子供達、最後の最後まで給水所で待ってくれているボランティアの方たちの声援に背中を押してもらいフィニッシュ会場である競技場の中へ。
スタートしてから14時間と少し、私よりも随分と前にフィニッシュしていた仲間に迎えられ一緒にゴール。達成感というよりも、もはや感謝の気持ちしかありませんでした。長い長い1日でしたが、自分自身とじっくりと向き合う貴重な時間でもありました。
皆生トライアスロンは噂通りとても過酷なレースでしたが、それ以上に感じたのが、皆生の自然の美しさ、皆生の人たちの温かさ、仲間の存在の有り難さでした。
レース中、特にバイクコースには苦しめられ、もう二度とこんなにしんどいレースには出ないぞと思っていたはずなのに、レース翌日の朝に車窓から見えた弓ヶ浜の美しい風景を眺めながら、是非またもう一度皆生トライアスロンに挑戦したいと思っている自分がいました。次はあの手強いバイクコースとも少しは仲良くなれたらな、と。
皆生大会は、私にとっては苦しい以上に魅力のある、古き良き日本のトライアスロンでした。
大会の運営に関る全ての皆様、ボランティアの皆様、応援してくださった皆様、仲間や家族に心から感謝いたします。ありがとうございました。
「これが皆生だ。」

Triathlon “ MONO ” Journalist Nobutaka Otsuka