2024年7月14日 第42回全日本トライアスロン皆生大会参戦してきました!
小嶋しのぶ
皆生トライアスロンと言えば歴史ある大会、トライアスリートの憧れ?いつかは出たい大会?当選が難しい?厳しいコース?灼熱の大会!というイメージで、私自身もいつかは出てみたいとは思いながらも“私レベルではまだまだ出られない崇高な大会”というイメージがあり、もう少しパフォーマンスが上がってからの挑戦だと思っていました。
それが、3月末のチーム合宿の際に毎年大会に出ている強者達から“しのぶさんも出ようよ~”とか、“しのぶさんなら絶対完走出来る”とか、チームボスから“しのぶさんなら大丈夫じゃない?”とか根拠レスな言葉たちに何となくその気になってしまい、エントリー締切日にエントリー・・・。
そこからはもう心配性な私は気持ちの焦りばかりの日々を過ごす事となる。
5月の今シーズン初戦の横浜トライアスロンまでは順調にトレーニングを重ねる事が出来て、この先の練習予定もしっかり計画していたのに、体調を崩してしまい仕事の忙しさも重なり、ほぼ1か月トレーニングが出来なくなってしまい、残り1か月でどうにかレースレベルまで持って行かなくてはならなくなってしまった。
落ちてしまったパフォーマンスを元に戻す事も出来ず、気が付いたら“あっ!暑さ対策してない!”とか、マイナスイメージが先行する毎日。そしてほぼ大会まで1週間というときに、なんと!満員電車で足を踏まれるという事件が起こる。
左小指は膨れ上がり靴も履けない。バイクをこぐことも出来ない。病院で骨は大丈夫の言葉を信じ、冷やしまくってようやく大会2日前にシューズを履けるようになりましたが、心の中では7割がたスイム終了後リタイアかな~と思いながら会場入り。
皆生へ入り、バイク試走したら、あれ?シューズはける、漕げる??ランシュー履ける?走れる??明日スタート出来る?とやっと明るい兆しが見えて来て気持ちも上がってきた。腫れが完全に引いた訳ではないがどうにかなりそう。
出られないと思っていたのでスタートラインに立てる事に感謝して、完走出来なくても最後まで楽しく諦めずに頑張ろうと気持ちを切り替えて当日を迎えました。
スイム(3キロ);今までで一番厳しいスイムでした。往路のきつい潮流となかなか解消しない人ごみで1500はワースト記録、復路は上手く人の波にも乗れて往路より約10分早く到着。順位もまずまずでスタートを切る。(後から88人もリタイアと聞いてびっくり)
バイク(140キロ・獲得標高1800らしい);ここからが私にとって問題のパートが始まる。一番苦手なバイクパート。しかも坂ばかり。聞いてはいましたがこんなにキツイとは・・・スイム255番で上がっているのでスイム苦手な人々から抜かれまくるが心は折れない。だっていつもの事だから。
結局気持ちよく走れたのは最初と最後だけだったような気がする・・
大雨の中のバイクで気を付ける事が多かったけど、灼熱よりはよかったと思った。これも運です。
ASの滞在は最小限に抑え、とにかく先を目指す。(だって余裕ないから・・)
一応15時バイクフィニッシュを目標にしていて、予定通りに戻ってこられたので、遅いなりにも満足したバイクパートでした。しかし、昨年並みの暑さだと多分足きりにだなぁと思う。結局500人以上に抜かれた(笑)
バイクコースの地下道をバイク降りて渡るとか、新鮮で面白かったです。
気持ちよく山から下ってきて信号にぶつかり後から来て上手く信号を抜ける人に追い越されもう追いつけなくなってしまって悔しく思ったり、トリッキーなコースも今後攻略が必要だなぁと思いました。(攻略より坂登りの練習しろ!)
ラン(40キロ);約6時間半を残してランスタート。何も問題がなければゴールは出来る時間だが、ここまでの消耗がどのくらい影響するかは分からない。ランも苦手だから・・
走り始めて皆生名物の信号ストップ。これかぁと思いながら鈍足な私にとっても良い休憩。でもこれが後からどのくらい影響するのか分かってなかった。
最初は比較的順調に進めていたが、10キロ位からきつくなり、折り返し20キロが遥か遠くに感じる。雨は強烈に降ったりやんだりの繰り返し。気温的には問題ないが、湿度との闘い。
ASで氷をもらい、常に手を冷やしながら走る。歩きたくなってもじり貧でも足を動かして進もうと決め、東京からわざわざ応援に来てくれた友人が待つ折り返し地点を目指す。
やっと折り返しに到着して足切り時間には十分間に合ってはいるが、結局折り返しまで3時間弱かかっている。結構信号ストップしていたので、復路もこの調子だとちょっとやばい?と少し冷静に考える。
友人、ASのボランティアさんからの応援、私設エイドの方々からの声掛けをパワーに変え、とにかくAS以外は走ろうと決め、足を進めた。
いつもランでは歩いている人を1人でも多くかわそうと走っているのですが、さすが皆生ですね、歩いている人が少ないのですよ・・・バイクで500人にも抜かれたのにランで上げられないと悟りました。
途中暗くなってしまい、足元が見えない所が沢山あり転ばないように進まないと行かなかったのは体力を削る事になり、更に海岸線は一人旅でちょっと辛かった。
街中に戻ると遅くまで付き合ってくれているボランティアさんからの声掛けに後押しされ、“待ってろ!ドラドラ”と思いながら仲間の待つゴールへひたすら足を進めた。
スタジアムの入り口をくぐると一気に光が広がりその奥にFinishの文字が!
仲間からのお帰り~の声に思わずウルっとしながらFinish!トライアスロンの一番の醍醐味はこのゴールの瞬間だと思っている。私にとって遠い皆生が近い存在になった瞬間でした。
暑いのも大変ですが、大雨の中の運営は事故も起こりやすくなり本当に運営が大変だったと思います。無事に大会を終えられたのも一重に大会関係者の方々のお蔭だと思います。
この歴史ある大会に参加させて頂き、有難うございました。
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「初皆生無事完走!」
Triathlon “ MONO ” Journalist Nobutaka Otsuka