第3回

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Triathlon LUMINA No.47

P81~83 Mare Ingenii Tri BIKE CHRONICLE

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トレックTTやカリバーなどのカーボントライアスロンバイクの兆し

このクロニクルの第3回目は、00年前半について振り返ってみる。この5年間は、いよいよ「カーボン」のトライアスロンバイクを意識させられるようになってきたのだった。実際には、まだまだアルミが多く使用されていたが、「エアロダイナミクス」にこだわり始めたことによって、成型の自由度の高い、カーボンで造るトライアスロンバイクへの注力が顕著になってきたのだ。各メーカーの「カーボン化」は時間の問題となったと言える。カーボンを使えば、自由な形状が可能となるため、トライアスロンなど、エアロダイナミクスのための形状を造るためには、絶対に必要だったのだ。そんな意味では、トライアスロンマーケットの拡大とともに、伸びていると言っても過言ではないのだ。

まず、トライアスロンバイクの「カーボン化」で大きく動きを感じたのは、トレックだった。2000年にツールドフランス参戦用に製作した「TT」があった。あくまでもTTだったのだが、2001年アイアンマンでは、早速プロ選手に投入、ハワイで大いに沸いたのだった。ただ、そもそもトレックの考え方としては、「TT」と「トライアスロン」を大きく区別していることだ。そのため、ラインナップのカテゴリーもトライアスロンではなく、ロードとして位置付けていた。当時のトライアスロンモデルは、「HILO」であり、「TT」ではなかった。先述で、2001年プロ投入としたが、ゼッケン1のピーターリードはカーボンの「TT」でなく、アルミの「スペシャルモデル」を使用していた。選手からのリクエストもあったかもしれないが、いち早く「カーボン投入」をしたかったのではないだろうか。2000年に入り水面下での「カーボンバトル」が始まっていたのだ。

ここで当時の気になるブランドを紹介しよう。実質2000年のハワイでロタレーダーが、P3(アルミ)を使用し、ハワイメジャーとなったサーベロだ。後の大活躍は周知の通りだが、当時のトップ3は、まだ、ケストレル、トレック、キャノンデールで、サーベロは、「第2勢力」の一つに過ぎなかった。そのサーベロもまだアルミフレームの時代だ。2001年モデルとしてデビューの「P3」は、後のカーボン製P3の原型となっていて、特徴的なシートチューブ形状をそのまま継承して、「P3carbon」というネーミングで2005年にデビューしている。その後、アルミモデルが無くなったため、2009年から「P3」となった。

一方、カーボン化の動きが著しくなってきたが、アルミメーカーも頑張っていた。キャノンデールなどは、2003年から2007年までの5年間アイアンマンのオフィシャルバイクとなっているのだ。最終年の2007年に、アルミとカーボンのハイブリッドSIX13バージョンがリリースされた。そして、翌年2008年でフルカーボンの「スライス」がデビューとなったのだ。実は、キャノンデールも早い時期にカーボンを開発していた。2001年にアメリカ、ペンシルベニア州ベッドフォードの自社工場を、(まさに「100%HAND MADE IN USA」の頃)、工場見学に行ったことがあったが、その時にカーボンロードのサンプルがあった。トップチューブを太くし、ダウンチューブとシートステーがない、特異で、奇抜であり、キャノンデールらしいビジュアル性の高いデザインだった。そして、なんとそのネーミングは、「SLICE」となっていたのだ。2008年デビューのトライアスロンバイク「SLICE」のルーツとも言える。ちなみに、この頃、キャノンデールは、オフロードのモーターサイクルMX400や4輪バギー車も同工場で自社生産していた。

このように、この時代は、アルミフレームもカーボンフレームも混在しているように見えた。しかし、確実に「カーボン」への意識は高まり、各メーカーにおいては、動きが出ていた。それまで、トライアスロンへ注力していたメーカーだけではなく、各メーカーの動きも出てきた。ただ、それまで、注力していなかったメーカーには、ジオメトリーに「迷い」を感じるものも少なくなかったのだ。それだけ、意識せざるを得ないところまで来ていたと言える。エアロ形状はしているが、シートアングルが寝ていたり、ヘッド長も短くない。一見「トライアスロン」と見えるものも、トータルでのコンセプトに欠けていたものもあった。ただ、「カーボン先行」の勢いはあり、後に繋がったと見ている。また、パーツは確実にカーボン化が進んだ。例えばプロファイルのDHバー「カーボンX」など、爆発的な人気となったのがこの頃で、それまであったアルミ製のものは全く売れなかったのだ。人気となった、一番の理由は、「美しい」カーボンの造形によるものだった。

ここで、幻のバイクを紹介しよう。90年後半、具体的には、98年のハワイだった。「ファニーバイク」が話題となったのだ。96年優勝のルクヴァンリルデのコルナゴレコード、当時の優勝候補でもあったロタレダーのビアンキクロノTT、97年優勝トーマスヘルリーゲルのセンチュリオンヘルドライブなどバイクの強い欧州勢が挙ってフロント26インチ、リア700Cの前後異径のファニーバイクを使用していただが、驚くことに、あのトレックもアルミ製のファニーバイクの開発をしていた。と言っても少し遅れ、その現物を確認したのは、2001年のハワイだった。フレームのトップチューブには、大きく「PROTO TYPE」の文字が入っていた。そのバイクは、トレックUSAのエンジニアMarkAndrewsが自ら出場し使用していたものだったのだ。当時はすでにカーボンの「TT」がリリースされていたため、日の目を見ることなく、幻に終わったバイクだった。

最後に、この00年前半を代表するイメージとなり、2004年ハワイでウィナーズバイクとなった、「クウォータカリバー」について触れておこう。優勝者は、ドイツのノーマンスタッドラーで、バイクの強い選手だ。2006年の2度目の優勝の時に4:18:23という驚異的なコースレコードも出している。初代バイクスペシャリストウィナーと言ったところだろうか。二代目は昨年のセバスチャンキンールがそれに当たる。この優勝には、大きな意味があった。それまで、クウォータのイメージは繊細なデザイン性の高いバイクとして、競技性のイメージはなかったのだ。ある意味ノーマークのブランドだった。そんな中、スタッドラーによってウィナーズバイクとなり、しかも、バイクスペシャリストによるその結果は、最高だったのだ。これは、クウォータの「レーシングバイクの証明」でもあった。クウォータの造るバイクは、常に軽量にこだわるもので、トライアスロンでは異色でもあった。カーボンフォークなどモノ造りから始まったクウォータのこだわりがそこにあった。同時に振動吸収性も高く、幅広い層から支持を得たのだ。この初代のカリバーは、デビュー当初は、ケーブルなど露出だったが、マイナーチェンジを経てケーブル内蔵型になった。現行では、エアロ形状を高めたデザインとなっているが、これも同様に極めて扱い易いトライスロンバイクに仕上がっている。

2000年前半は、メーカーのコンセプト、実際の使用率などは、話題や人気と必ずしも合致していた時代ではなかったが、確実に2000年後半へのステップになっていた。そして、間もなく「トライアスロンバイク全盛期」がやってくるのだ。

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今回の参考資料は、プレストラックの上から撮った写真です。やはりスタッドラーのフォームは最高です。この写真は、2006年の2回目の優勝の時のものです。

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「来月は2000年後半について。いよいよ、あのバイクが登場です。」

BOSS-N1-STriathlon “ MONO ” Journalist   Nobutaka Otsuka