第2回

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Triathlon LUMINA No.46

P89~91 Mare Ingenii Tri BIKE CHRONICLE

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アルミとカーボンどちらが良いのか、500Sciに観る快適性と競技性の融合。」

このクロニクルの第2回目は、90年後半について振り返ってみる。この5年間は、「試行錯誤」の時代だったかもしれない。メーカーも迷い、ユーザーも迷う。そんな時代だった。クロモリからアルミの流れがあり、そこへ「新素材」と言われるカーボンやチタンが入ってきた時代で、フレーム素材として4つのマテリアルになった。この頃は、「一長一短」でそれらの素材を「選択肢」として見ていた。どれが絶対良いとか、悪いとかではなく、メリット、デメリットを考慮し、用途に生かした製作をしていたが、マーケットも拡大し、総合評価の高い、アルミとカーボンがメインとなって行った。

まず、アルミフレームは、90年前半から引き続き、好調に伸びていた。当時のトップ3(ケストレル、トレック、キャノンデール、他は、ソフトライド、QR、ジップ、ライトスピード、プリンシピア、スペシャライズド、クライン、フェルト、ルック、GTなど。)の中でカーボンフレームをリリースしていないキャノンデールが、95、99、00年にアイアンマンで使用率第1位となっていることから裏付けられる。02年にバイクに合わせたデザインのトライアスロンウエアをリリースしたり、03年からアイアンマンのオフィシャルバイクにもなった。モデル名まで「IRONMAN」という名称にするまでの力の入れようだった。キャノンデールの場合は、単純にアルミフレームメーカーと片付けられなかった。現在、カーボンに対し、アルミは格下のマテリアルとされがちだが、そこは、キャノンデールのこだわりが違うのだ。当時のキャノンデールは絶対的な自信を持ち、カーボンを使わず、アルミでの高い「振動吸収性」を目指した。「必要以上にコストをかけない」と言うポリシーが高品質なアルミフレームを生み出したのだ。そのスピリッツがまさに現在の「CAAD10」に生かされている。

ここで当時の幻のアルミバイクを一台。97年にリリースされた、GTの「ベンジンス」だ。これは、超エアロトライアスロンフレームで、95年にマーク・アレンが、琵琶湖アイアンマンで優勝、同年10月にハワイで最後となる6度目の優勝をした時に使用していた、「プロトタイプ」の市販モデルだ。96年アトランタ五輪の自転車競技においてUSAチームへの開発、供給をする中で、エアロダイナミクスも極め、トライアスロンでもNO.1を目指していた。

一方カーボンは、ケストレル、トレックを中心にルック、ジャイアント、コルナゴなど、本格参入は、まだ多くなかったが、確実に意識させられるようになって来た。特にケストレルは、トライアスロンを主戦場とし、そのカラーの強いブランドとして、人気を高めていった。そして、トレックは、80年後半から着手したカーボンフレームの最終形として、92年リリースのOCLVカーボンが一世を風靡、定着し、トライアスリートからローディまで、幅広く使用されるようになって来た。当時カーボンフレームと言えば、「高額で手が出ない、強度はあるのか」と、やや敬遠されていた90年前半から、徐々に気になり始めた時代が90年後半だった。当時の30万円台のフレームは現在の50万円台のイメージだったが、そこは、堅実なトライアスリート、流行だけではなく、本当に良いものなら使ってみたいと思い始めていたのだ。

このように、アルミメーカーもカーボンメーカーもそれぞれの考え方を持ち、アルミはより完成度を高め、カーボンは新たな可能性を追求した、素材の「バトル時代」だった。ただ冒頭に述べたように、「迷い」も感じた。それは、素材だけではなく、フレームデザインやホイール径も合わせた上で、何がゴールで、どこまで注力すべきかと。そんなバトルの話しに当時よくあったのが、「キャノンデールのアルミトライアスロンとトレックのカーボンロードのどちらにしたら良いのか」迷うユーザーが多かったという事実だ。ジオメトリー、フレーム素材そして26インチホイール径の3つの要素が選択のポイントとなった。キャノンデールは、ジオメトリーとホイール径で2ポイントゲット、トレックは、フレーム素材で1ポイントゲット。単純な比較にはならなかったが、当時は、ほぼ互角だった。キャノンデールは、幅広く使用され、トレックは、「バイク重視」の選手が乗る印象があった。トレックは、当時の人気選手、マイク・ピグやカレン・スマイヤーズなどが使用していたこともイメージが良く、ポイントが高かったと思う。

ここで、触れて置きたいのが、トレックの当時のトライアスロンへのこだわりと葛藤だ。98年にリリースした特異形状の「Y FOIL」だった。OCLVカーボンを使ったシートチューブレスのそのデザインは、エアロダイナミクス抜群、従来フレームよりも34%の空気抵抗低減を実現したのだ。当時は、このモデルによって、トレックの「トライアスロン本格参入」と賞賛された。そして、トレックのこだわりはもう一つ。ホイール径は700Cだったのだ。この頃のアイアンマンでのホイール径の比率は半々だったが、あえて700Cを選択していた。ただ、2年後の2000年には、26インチアルミトライアスロンをリリースしているのだ。サインからトレンドへ、そしてスタンダード化において難しい時代だったということなのだ。

最後に、この90年後半を代表するモデルであり、当時ハワイでもっとも使われたモデル、「ケストレル500SCI」について触れておこう。単一の人気モデルとしては、「初代アイアンマンバイク」と言えるだろう。サーベロP3(CLASSIC)はその二代目にあたる。92年にリリースされ、モデルチェンジすることなくロングセラーとなったモデルだ。このあたりも旧型P3に似ているかもしれない。ケストレルは、97、98、01年にハワイアイアンマンで使用率第1位になっている。500SCIは、シートチューブのない「オープントライアングル」形状で、イメージ通り、「快適性」を強調した造りとなっていた。当時は、「トライアスロン専用」のカテゴリーも確立されておらず、このモデルのシートアングルは73~74.25°と、寝ていた。ホイール系は26インチのみで、シートアングルを除けば、「トライアスロン専用」だったと言えるだろう。このバイクの特筆すべき最大のポイントは、ウィナーズバイクになったことがないことだろう。それにも関わらず、多くエイジ選手に使用されていたことが、このフレームの性能の高さの証明でもあった。ちなみに、ケストレルは、80年後半から90年前半にかけ、日本国内で生産されていた。余談だが、自転車漫画「のりりん」のヒロインも乗っているのが、この500SCIだ。

この時代は迷った。カーボンのロードが良いのか、アルミのトライアスロン専用バイクが良いのか。メーカーからもトライアスロンへどの程度注力すべきなのか、今ひとつ強いポリシーを感じることが出来なかった。それらもあってか「良いとこ取り」をするため、「ショップオリジナル」などが全盛の時代でもあった。

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今回の参考資料の一つ、23年前のケストレルのカタログ
 
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「来月は2000年前半について語ります。徐々にトライアスロンバイクへの関心が高まる頃ですね。」

BOSS-N1-STriathlon “ MONO ” Journalist   Nobutaka Otsuka